
尾河眞樹 ソニーフィナンシャルグループ執行役員 チーフアナリスト
[東京 14日] - 円安・株高の、いわゆる「高市トレード」が続いている。11月12日、片山さつき財務相が円安の進行について、「一方的な急激な動きが見られる」と発言したことを受けて、ドル/円JPY=EBSは155円ちょうどを目前にして上昇にブレーキがかかる場面もみられているが、足下の円安トレンドが反転するほどの影響は見られていない。
日銀による「短観」の全規模・全産業の業況判断DIと、「生活意識に関するアンケート調査」の景況感DIから企業と家計の景況感をみると、通常は連動しているはずの両者の動きが2022年を境に大きく乖離(かいり)していることが見て取れる。22年といえば9月に、約24年ぶりとなる円買い介入が実施されたことは記憶に新しい。この頃から、大幅な円安の進行に伴い企業の景況感は改善していった一方で、家計の景況感は悪化。一時は改善する兆しもみられたが、161円台を付けた昨年から再び悪化傾向となっている。
企業にとっては「円安=景気刺激」となる一方で、家計にとっては「円安=負担増」となるわけで、このジレンマをどう解決するのか、政府・日銀にとっても頭の痛い問題だろう。しかし、内閣府による「企業行動に関するアンケート調査」(令和6年度)によれば、輸出企業の採算レートは製造業で1ドル127.1円、非製造業では138.7円となっており、足下のドル/円の水準を踏まえればまだ余裕はありそうだ。同調査からは時間が経過していることを踏まえると、採算レートも相当程度ドル高・円安方向にシフトしていると思われるものの、仮に5-10円程度円高が進行したとしても、企業の景況感が一気に悪化するほどにはならないのではないか。筆者はこうした点を踏まえれば、政治的には今や、「円安=負担増」に着目し、過度な円安の修正に軸足を置くべき時と考えている。
三村淳財務官は5日、「為替の実際の動きと日米の金利差の推移を見ると、最近はやや乖離が見られると言えるだろう」と発言。「高市トレード」で進む円安に水を差した。実際、日米実質金利差とドル円の相関性は足元で崩れており、日米実質金利差から見ればドル円は140円前後が適正と思われるところが、実勢レートは154円となっている状況だ。ドルと円の名目実効レートを見ると明らかだが、これはドル高によるものではなく、米相互関税や高市氏の総理就任などに伴い、日銀の利上げ観測が大きく後退したことで、4月下旬以降一貫して円が大きく下落したことによるものだ。
10月29-30日に行われた日銀金融政策決定会合では、利上げを主張して金利据え置きに反対票を投じた委員が9月と同じ2人に留まったことや、植田和男日銀総裁の会見も早期利上げに対して慎重なスタンスと受け取れる内容だったことから、日銀の利上げ観測はさらに後退。利上げに否定的だった高市氏の就任と相まって、足下ではオーバーナイト・インデックス・スワップ(OIS)金利からみた次回利上げに対する市場予想の中央値は、来年4月まで後退している。
ただ、片山氏は今年3月のロイターの取材に対し、「ドル/円は120円台の時期が長かったので、120円から130円、120円台が実力との見方が多い」と述べ、物価高の沈静化に向け円高進行が望ましいとの考えを示した。三村氏の発言と併せて考えれば、必ずしも「高市政権=円安容認」とはならない点に注意が必要だろう。そもそも物価高対策が最重要課題としているなかで、一段と円安が進めばインフレが加速する点は政府としても認識しているはずで、日銀の利上げに対しても必要に迫られれば理解を示すと思われる。ソニーフィナンシャルグループは引き続き、日銀の次回利上げは26年1月と予想しているが、さらに円安に拍車がかかるようであればより早期の利上げもあり得るだろう。
翻って10月28-29日に行われた米連邦公開市場委員会(FOMC)後の記者会見で、連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は「12月の利下げは既定路線ではない、そういう状況からは程遠い(far from it)」と述べた。また、政府機関の一部閉鎖により経済指標が発表されていないことについても、「霧の中を運転しているときはスピードを落とす」などと述べ、12月の利下げを早々に織り込んでいた市場をけん制した。
筆者は市場のFRBに対する利下げ期待はやや行き過ぎているとみており、上述したパウエル議長のけん制球にさほど驚きはない。実際、FRBは2大責務として掲げている「物価の安定」と「雇用の最大化」のどちらを採るかという難題に直面している。米労働市場の悪化ぶりをみれば「利下げ」となるが、注意したいのは悪化の内容だ。11月6日に米再就職あっせん会社チャレンジャー・グレイ・アンド・クリスマスが発表した10月の人員削減数は15万3074人と、9月の5万4064人から約3倍に跳ね上がり注目を集めたが、同データによれば、削減された雇用はテクノロジー企業や倉庫業がメインで、人工知能(AI)の浸透による産業構造の変化が背景にある可能性が指摘されている。
また、米労働省による公式データの雇用統計は、9月、10月が政府機関閉鎖により未発表だが、8月の非農業部門雇用者数は米政府機関の雇用が前月比1万6000人減となっていた。政府効率化省(DOGE)による人員削減に加え、トランプ政権は政府閉鎖を受けて、10月以降も連邦職員の大規模な解雇を続けている。また、トランプ政権の反移民政策による移民の減少も雇用を悪化させている公算が大きい。
こうした、AIによる労働市場の構造変化やトランプ政権の政策による雇用の悪化は、果たして利下げによって解決できるものなのか、甚だ疑問である。一方で、米コア消費者物価指数(コアCPI)をみると、財が今年4月以降前年比でプラスに転じている。その後緩やかながらプラス幅を前年比1.5%まで拡大しており、関税による米インフレへの影響がじわじわと現れつつある。来年から開始する「トランプ減税」が米景気を押し上げれば、米インフレは高止まりする公算が大きい。したがって、行き過ぎた米利下げ期待の修正に伴い、来年以降はドル/円が再び緩やかな上昇トレンドに向かうとみている。
日本の通貨当局のけん制や、後退しすぎた日銀の利上げ観測の修正などに伴い、短期的には円高が進みやすく、ドル/円が一時下落する可能性があるとみている。下落余地としては、テクニカル上、10月3日の147円台から同週明け6日の始値148円台にドル/円が急騰した際に生じたロウソク足(日足)のギャップ(窓)が位置する147-148円付近となると予想している。一方、来年通年でみれば、トランプ減税による米国の景気回復と過度な米利下げ期待の後退により、ドルは緩やかに上昇していくとみている。したがって現在は、ドル/円の25年末予想値を150円、26年末の予想値を154円に置いている。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*尾河眞樹氏は、ソニーフィナンシャルグループの執行役員チーフアナリスト。米系金融機関の為替ディーラーを経て、ソニーの財務部にて為替ヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析を担当。著書に「〈最新版〉本当にわかる為替相場」、「ビジネスパーソンなら知っておきたい仮想通貨の本当のところ」などがある。
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