Una Galani Shritama Bose
[ニューデリー/ムンバイ 18日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 近年のインドは全てがうまく回っていた。経済が急成長し、安定していたため、同国に対する信頼は高まり、世界的な地位が向上した。ところが、トランプ米大統領が仕掛けた貿易戦争と、雇用を国内に取り戻そうとする取り組みにより、モディ首相が唱えた「インドの時代」はあっという間に色あせようとしている。
トランプ氏がインドからの輸入品に計50%の関税を適用したことで、インドは他のアジア諸国に比べて輸出競争力が低下し、国内製造業を発展させるという野望に水を差された。ただ、インドが世界全体から得るモノの輸出収入は国内総生産(GDP)の11%に過ぎず、経済は関税の痛みを吸収できる。より大きな脅威は、対米関係悪化が、過去20年にわたってインドの経済構造転換を主導してきた国内のITサービスに及ぼす影響だ。
インドのITサービス産業は、JPモルガン・チェースJPM.Nやゴールドマン・サックスGS.N、エクソンモービルXOM.Nといったグローバル企業との取引を通じて国内に巨大な富を創出し、ハイデラバードやベンガルールといった大都市の発展に貢献した。生み出された資金は株式市場を拡大させ、不動産価格を押し上げ、富裕層の消費を喚起してきた。
米国とインドは貿易協議を再開したものの、インドは交渉の武器が限られている。モディ氏が米農産物に市場を開放する、あるいは日本が打ち出したような大規模対米投資を約束するにはインドはあまりにも貧しいからだ。一方、インドはサプライチェーンの支配力も乏しいので、中国がレアアース(希土類)などの輸出規制で米国に対抗したような手も使えない。
インドの政策担当者や産業界、金融界はモディ氏のこうした立場に同情的で、米政府がインドを中国陣営に追いやるのを避けようとして、早急に強硬姿勢を和らげてくれるとも期待している。
<サービス輸出への打撃>
関税の影響だが、アナンタ・ナゲシュワラン政府主席経済顧問によれば、米国に計50%の税率を課されたことで、来年3月までの今年度のインドGDP成長率は最大0.6ポイント押し下げられる恐れがあるという。政府見通しの下限にこの影響を当てはめると、成長率は5.7%に鈍化することになる。
これは好ましくないが、対処は可能だ。米国の関税対象となるのは、昨年世界に輸出されたインド製品4370億ドル(約64兆2390億円)の13%にとどまる。なぜなら医薬品やアップルAAPL.Oの「iPhone」などの電子製品は除外されるからだ。もちろん米関税によって、自動車部品や宝飾品、繊維など労働集約的な産業の製品の米国向け輸出が事実上難しくなるので、インド国内の雇用は相当減少するだろう。
今年度の成長は関税に伴う下振れにより、政府が向こう10年の目標に掲げた最低6%の年間成長率に届かないし、8%かそれ以上という期待からは一層遠くなる。それでもインドは、中国を上回る世界で最も高い成長率という立場は維持できる。
それよりもインドのサービス業が受ける打撃の方が深刻だろう。ITサービス輸出の急減は国内のインフレを加速させて通貨危機をもたらしかねない。インドの財政と経常収支を下支えする上で、こうしたサービス輸出が重要な役目を果たしているからだ。
タタ・コンサルタンシー・サービシズ(TCS)TCS.NSやインフォシスINFY.NS、ウィプロWIPR.NSなどのITサービス企業は収入全体の最大6割を北米地域で稼いでいる。また、米経済誌フォーブスが発表する世界の上場企業2000社の2割がインドにグローバル拠点を構える。
多くの多国籍企業は財務処理や顧客からの苦情対応などでインド人を頼りにしており、現地拠点には人工知能(AI)を含めた開発部門も含まれているとはいえ、魅力は依然として比較的低い賃金だ。
インドのサービス輸出は2005-23年で倍増。昨年3月までの年度でインドが得た海外向けサービス収入3410億ドルのうち、少なくとも30%(1030億ドル)は米国からだった。これは米関税対象となったインド製品の輸入額の2倍に上る。
ただ、米政界が雇用の国内回帰を熱望しているため、こうしたインドの収入モデルがやり玉に挙がっている。その動きの1つが、与党共和党の上院議員が提出した雇用移転抑制法案、いわゆる「HIRE法案」で、外国人労働者や海外企業に業務委託(アウトソーシング)する米企業に25%の課税をすることが盛り込まれた。
トランプ氏がHIRE法案を支持するかどうかは依然不明で、過去にも似たような内容の法案が議会で可決に至らなかった。しかし米政権が「米国第一主義」を掲げる限り、このような脅威が消えることはない。
数十年に及ぶサービス雇用のアウトソーシング慣行を転換するのは簡単ではない。突然実行すればグローバル企業は会計報告書類の作成や顧客サポートが不可能になる。徐々に進めるとしても不安は尽きない。英語が話せてさまざまな技能を備えたこれほど多くの労働者をインド以外の場所で見つけることはできない。
とはいえAIがバックオフィスの人員を減らしている局面だけに、サービス雇用への脅威が続けばインドにとって壊滅的な状況になりかねない。最近のインド経済を安定させている鍵は、オープンAIやグーグルGOOGL.Oなどから購入するよりも、多くのサービスを輸出してきた点にある。これがインドの経常収支と財政収支の「双子の赤字」を抑制してきた。
赤字抑制のおかげで通貨ルピーは急落を免れ、エネルギー輸入コストが抑えられて国内は物価が落ち着き、貧困層支援のために政府が借金をして支出する必要も薄れる。外国投資家がインド資産に要求するリスクプレミアムの縮小にもつながっている。
インドは双子の赤字が膨らむ局面で、苦境に置かれる。例えば、2013年には、米連邦準備理事会(FRB) による債券買い入れの縮小示唆に伴う市場の混乱、いわゆる「テーパー・タントラム」があった。当時は大幅に資金が流出し、ルピーは急落した。
モディ氏にはダメージを打ち消す手段はある。政府は欧州連合(EU)を含めたさまざまな相手と自由貿易協定を締結する取り組みを強化し、国内の消費促進や官僚主義打破のための改革も推進している。
だが、これらの措置は失われた対米輸出を代替する、あるいはインド企業の足かせを取り払うという意味では力不足だろう。
トランプ氏が仕掛けた貿易戦争は、同氏が目的達成のために自国経済に痛みを強いるのをためらわない姿勢を示している。インドにとってのリスクは、かつて経済に働いてきた前向きの循環が後ろ向きに転じてしまう事態だ。
(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)