
上野泰也 マーケットコンシェルジュ 代表
[東京 23日] - 10月21日召集の臨時国会で首相指名選挙が行われ、自民党の高市早苗総裁が第104代首相に選出された。
高市氏は言わずと知れた「アベノミクス」の信奉者である。財政政策は拡張志向、金融政策では緩和志向が強い。少なくとも1%までは追加利上げを行いたいと推測される日銀にとって、手ごわい相手である。
むろん、安倍晋三元首相がアベノミクスに着手した頃とは環境が異なっている。特に為替相場の水準とそれが国民生活に及ぼしている影響には、当時と今では天と地ほどの違いがある。
安倍氏が日銀のレジームチェンジを行い、日銀が異次元緩和を導入した頃は、為替相場は「行き過ぎた円高」であり、「円高是正によるデフレ圧力の軽減」が政府にとって喫緊の課題だった。
一方、今の為替相場は「行き過ぎた円安」の状況であり、「円安是正によるインフレ圧力の軽減」が求められている。財務相に就任した片山さつき氏は、ロイターが3月に行ったインタビューの中で、ドル/円JPY=EBS相場は120円台が妥当という考えを述べていた。
とはいえドル/円相場の場合、日本政府の相手方として米財務省が存在する。また、円高誘導的に為替介入を用いるのは国際的に御法度である。日銀が為替相場を動かすことを政策運営であからさまに前面に出して、利上げに動くわけにもいかない。
こうした中、仮に高市氏が「日銀は追加利上げすべきでない」というようなことを言ってしまうと、市場で円売り圧力が一気に強まり、それが物価高をさらに長引かせることにつながってしまう恐れがある。
アベノミクスの基本原則では「金融政策は緩和」だとしても、あるいは国内需要を刺激するために金融政策は緩和基調を維持することが望ましいと高市氏が内心考えていても、円安加速リスクの存在が、首相が話せることや行えることにタガをはめている構図である。
高市首相は21日の就任記者会見で、日銀の金融政策に関するコメントでは安全運転に徹した。
マクロ経済政策の最終責任は政府が持つものであって、「金融政策の手法は日銀に委ねられるべきもの」、すなわち「日銀が有するのは手段の独立性」だというリフレ派的な持論を述べつつも、日銀の追加利上げの是非など具体論には一切触れず、「日銀が政府と十分に連携を密にして意思疎通を図っていくことが何より大事だ」という日銀法第4条に書かれていることの強調にとどめた。
アベノミクスが原理原則として掲げる金融緩和と、円安が行き過ぎて困っているという現実の妥協点を、どこに見出すのか――金融市場が高い関心を持って、金融政策に関する高市発言をつぶさに見ている最大の理由である。
高市氏が最もとりやすい選択肢と考えられるのは、日銀の追加利上げをあと1回だけ、政策金利を現在の0.5%程度から0.75%程度へと引き上げるところまでは、市場がすでに織り込んでいることも念頭に置きつつ容認するものの、そこから先の追加利上げにはできるだけブレーキをかけるというものだろう。
安倍政権で内閣官房参与などを務め、高市氏に対しても経済政策のアドバイザー的な役回りを担っている本田悦朗氏は、マスコミ各社のインタビューで、日銀の追加利上げをあと1回は容認し得ることを示唆している。
高市政権の誕生をうけて日銀が急に利上げを一切できなくなるようだと、中央銀行の独立性が損なわれたと判断して、海外投資家が為替市場で円売りを強める恐れがある。
米国では、トランプ大統領が自身に近い人物を理事として送り込むなど連邦準備理事会(FRB)への影響力を強めようとする動きがみられた。こうした「乗っ取り作戦」とも言える試みにより、ドルの信認に傷がついて「ドル離れ」が広がるのではないかと市場で懸念されたことが思い起こされる。
それでは困るし、物価高対策を補正予算に盛り込んでいる中で、円安が加速して物価に上昇圧力が加わるようだと、対策が台無しである。
むろん、国内需要を刺激して「強い経済」を作るという高市氏の方針と、景気に対して引き締め効果を及ぼす日銀の追加利上げはかみ合わせが悪い。それでも円安の加速を防止するためには、日銀が追加利上げ路線を維持しており、政府がそれを認めている体裁をとるほうが現実問題として都合が良いというわけである。
このように考えると、筆者が1年前の自民党総裁選の頃に述べていた「高市首相なら日銀の利上げは封印」という見解は、足元の状況にはあてはまらないことがわかる。
日銀の利上げは高市政権の下でも、おそらく1回は容認されるのだろう。その先については、為替相場の状況次第で、高市氏のスタンスは変わってくる。
ドル/円相場のドル高・円安進行が155円未満にとどまるなら、円安対応で日銀のタカ派姿勢を高市氏が容認する必要性は、おそらく追加利上げ1回で十分だろう。米国の利下げが来年にかけて重ねられていけば、日米金利差が縮小し、相場は自然にドル安・円高方向へとシフトしていくとみられる。
一方、155円を超えてドル高・円安が加速する場合には、財務省が「実弾介入」を真剣に検討するとともに、合わせ技で日銀の利上げを活用する必要が出てくる。この場合、高市氏もやむなしと判断する中で、日銀の利上げは1%ないしそれ以上へと続けられていく可能性がある。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*上野泰也氏は、経済・金融市場に関する情報を発信する「マーケットコンシェルジュ」の代表。会計検査院を経て、1988年富士銀行に入行。為替ディーラーとして勤務した後、為替、資金、債券各セクションにてマーケットエコノミストを歴任。2000年から25年6月までみずほ証券のチーフマーケットエコノミスト。25年7月より現職。
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