唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
[東京 26日] - 歴史的な視点に立つと、金融政策への介入も含め第二次トランプ政権の振る舞いとニクソン政権(1969-74年)のそれを重ねる向きは多い。時代背景こそ違うが、両政権は通商政策における保護主義志向、通貨・金融政策におけるドル安・低金利志向、安全保障面における同盟国への応分負担要求など共通点が多く、総じて「国際秩序よりも米国の利益最優先」という価値観を隠さない点で似ている。よって、ニクソン政権の政策運営、とりわけ経済政策が最終的にどのような経緯・結末に至ったのかを知っておくことは、トランプ政権を起点とする米国の経済・金融情勢を展望する上で大いに役立つのではないかと思われる。
<ニクソン政権のおさらい>
ニクソン政権の政策運営をおさらいしておこう。同政権の行った政策は実に幅広いが、主に1)ベトナム戦争で揺らいでいた米国の「国際的立場の修復」と、それに伴う2)「国内経済の安定化」という2つの大きな目的から評価すると理解がしやすい。
まず1に関しては、冷戦構造の再編を成し遂げたことが外交的成功として語られることが多い。ニクソン政権は71年に対中関係の改善を目指す声明を発表、72年2月には米大統領として初めて中国を訪問し、両国関係の改善が実現した。その改善をもって旧ソ連へのけん制を強めた米国は72年5月、戦略兵器制限条約(SALT-I)を旧ソ連と締結する。これにより冷戦下の核軍拡競争に初めて制限がかかり、米ソ間のデタント(緊張緩和)が進んだ。米中接近によって対ソ圧力とし、米ソのデタントをもって対中圧力とする外交戦略はニクソン政権の三角外交として教科書にも刻まれている。
しかし、こうした動きに合わせ安全保障面での同盟国への応分負担要求にも踏み込んでいるため、短期的には「外交的交渉力の回復」を実現しつつ、これと引き換えに長期的には「米国の安全保障コミットメントの信頼性」が毀損(きそん)されたとの評価はある。
片や、一定の評価を残した1の論点とは異なり、2の「国内経済の安定化」は手厳しい評価が目立つ。金融市場にとってニクソン政権と言えば、71年8月の金・ドル兌換(だかん)停止宣言、いわゆるニクソンショックが想起される。これにより第二次世界大戦終了後から続いてきた「ドルは金と交換可能」という金・ドル本位制を主軸とする国際金融秩序(いわゆるブレトンウッズ体制)が終焉(しゅうえん)を迎えた。
なぜ、このような政策に踏み込んだのか。直接的には60年代後半以降の米国がベトナム戦争や大規模福祉政策の結果、「双子の赤字(財政赤字・経常赤字)」に伴うドルの過剰供給と兌換すべき金の準備不足に直面していたことが指摘される。金・ドル兌換を停止しない限り、ドル相場の暴落懸念が払拭されないため、政治決断に至ったのである。
より具体的な話をすれば、60年代後半から70年代初頭にかけての米国経済はインフレ率と失業率が揃って高止まりする典型的なスタグフレーションの症状を患っていた。金とドルの交換義務が断ち切られたことで米連邦準備理事会(FRB)の金融政策の裁量が確保され金融緩和へ動けるようになったことや、これに伴う実質的なドル安誘導により輸出競争力が強化されたことで国内景気下支え(失業率改善)を図れるようになったという点はニクソン政権が期待する部分ではあった。
しかし、インフレに金融緩和と通貨安を割り当てれば当然、インフレはさらに勢いづく。これを和らげるために、71年8月、ニクソン政権は金・ドル兌換停止と同時に経済安定法を制定し、大統領に一時的な価格・賃金統制の権限を付与している。これにより90日間限定で大統領権限の下、あらゆる値上げや昇給、家賃の引き上げが凍結された。これによりインフレ期待は短期的に抑制され、実際にインフレ率は下がったが、持続的な傾向とはなっていない。当時の米国が抱えていた構造的なインフレ要因はあくまで財政赤字や賃金インフレ、そして原油依存といった部分にあったため、価格・賃金統制は対症療法にしかならなかった。凍結解除後はインフレが跳ね上がり、適切な価格発見機能を失った分、物価は乱高下を強いられた。予想通り過ぎる結末だ。
ちなみに、ニクソン政権は金・ドル兌換停止と同時に輸入課徴金10%を導入している。これは米国の貿易赤字縮小を念頭に、対米黒字国通貨の切り上げを迫るためのカードだった。結果、金・ドル兌換停止と輸入課徴金が発表されてからわずか4カ月後(71年12月)のスミソニアン合意で主要通貨(円はプラス16.88%)が一斉切り上げを受け入れている。第二次トランプ政権の、「追加関税が嫌なら通貨を切り上げろ」という4―5月の言説をほうふつとさせる。
<結末は望まぬインフレ・金利上昇・ドル高>
上述の通り、選挙直前こそスタグフレーション症状を抑え込めたものの、経済・金融情勢と矛盾する通貨・金融政策の効果は持続しなかった。具体的には70年から72年にかけてインフレ率も失業率も上昇が抑制されたが、第二次ニクソン政権が始まった73年以降は再び上昇に転じ、第一次オイルショックも相まって消費者物価指数(CPI)は二桁上昇率に及んでいる。79年にかけては第二次オイルショックも重なり、インフレは一段と加速した。結局、79年8月に就任したボルカーFRB議長は80年3月までにフェデラルファンド(FF)金利を就任時の倍となる20%近くまで引き上げ、インフレ抑制に全力を注いだ。このボルカー体制での連続利上げが歴史的なドル高を生み、85年のプラザ合意へとつながっていく。
こうした歴史を現在と比較すると、やはり不安は募る。ニクソン政権の失策として「インフレ的な状況に金融緩和と通貨安を割り当てれば当然、インフレはさらに勢いづく」と指摘したが、それは今のトランプ政権がやろうとしていることでもある。経済・金融情勢と平仄(ひょうそく)が合わない金融政策運営は最終的には正当化されない。これを無視して金融政策に介入しようとしている以上、予想すべき結末は望まぬインフレとそれに対応する利上げ、結果としての通貨高ではないか。第二次トランプ政権は相互関税を主軸として米国有利な取引を他国に強いており、安全保障の応分負担も要求する。その上、国内ではFRB議長への緩和強要にも余念がない。両政権の所業は酷似しており、その結末も似通ってくるのではないかと心配になる。
金融政策への介入に限れば、ニクソン大統領の場合、緩和強要がウォーターゲート事件の証拠テープやバーンズ議長の回顧録で後日明らかになったが、トランプ大統領は隠すことなくパウエル議長に恫喝を繰り返しており、中央銀行の独立性への浸食は当時よりも露骨である。
<米国の覇権性をどう考えるか>
トランプ氏が関税計画を発表した4月2日の「解放の日」以降、トランプ政権については「ドルの基軸通貨性をおとしめている。覇権国から降りようとしている」という評論が目立つ。しかし、同じような政策を展開してきたニクソン政権を経て米国が覇権国でなくなったわけではない。金融市場ではその崩壊や瓦解がはやし立てられやすいものの、実際は米国が背負ってきた「覇権国の管理コストを減らしつつ覇権国の地位を温存すること」が目的であり、一部で指摘される「米国が覇権国を降りようとしている」は言い過ぎである。米国の覇権性やドルの基軸通貨性がどこに向かうのかという点については、今回の紙幅ではとても足りないため、別の機会に論じたい。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。08年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「弱い円の正体 仮面の黒字国・日本」(日経BP社、24年7月)、「『強い円』はどこへ行ったのか」(日経BP社、22年9月)など。新聞・TVなどメディア出演多数。note「唐鎌Labo」にて今、最も重要と考えるテーマを情報発信中。
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