
唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
[東京 28日] - 日経平均株価指数は乱高下を経つつも、年初来高値圏を維持しており、円安と円金利上昇の併存も依然健在である。とりわけ円安と円金利上昇については言うまでもなく高市政権のリフレ思想に対する期待(もしくは不安)を映じた動きだろう。もっとも、金利上昇はともかく、円安・株高の持続は多くの個人投資家とって一応は追い風とみなすこともできそうだ。
<投資意欲は失速感があらわ>
しかし、実は足元でその動きは鈍っている。財務省から公表された10月分の「対外及び対内証券売買契約等の状況(指定報告機関ベース)」によれば、昨年来、「家計の円売り」の代理変数として注目されてきた投資信託委託会社(以下投信)経由の対外証券投資はプラス3479億円と今年2番目の小さな買い越し額にとどまっている。年初来10カ月間の買い越し額合計はプラス7兆9571億円と昨年同期(プラス10兆1045億円)から失速感が鮮明だ。データを見ると、今年4月の関税ショック以降、個人投資家の投資意欲は回復していないようにも見える。
もちろん、さまざまな理由が考えられる。既にドル/円相場JPY=EBSや米国株価に高値警戒感があることは否定できず、日本国内におけるインフレ機運の高まりや、これと整合的な日本株の上昇傾向を踏まえると、「海外から国内」へと投資意欲がシフトした可能性もある。鈍化傾向を示す家計の対外証券投資を踏まえ、筆者はそのようにも考えてきた。何も海外投資だけが唯一の選択肢ではない。しかし、国内株式(東証+名証)の投資部門別の売買動向に目をやると、個人投資家は売り越しが続き、海外投資家による買い支えが続いている状況が確認できる。つまり、家計は海外にも国内にも、強い投資意欲を向けていない。
<結局「お金が無い」のか>
現状、家計部門の投資意欲が喪失しつつあるとすれば、その原因は何だろうか。単純に国内外株価やドル/円相場の高値警戒だろうか。国内株式に限れば、日銀の利上げが控えていることも重しになっているかもしれない。
そのほか最もありそうな原因として筆者が気にかけているのは、「インフレで投資原資が削られている」という物価情勢の影響である。要するに、「お金が無い」ということだ。
実質ベースで雇用者報酬が伸び悩み、これと平仄(ひょうそく)を合わせるように個人消費も伸び悩んでいる中、資産運用に回す原資が潤沢に増え続けるという道理はない。「インフレから身を守るためには資産運用が必要だが、資産運用をするための原資がインフレで削られる」という現状に直面した結果、出てくる国民の声は「お金が無いのでお金が欲しい」である。だからこそ、拡張的な財政・金融政策をうたう高市政権への支持率が高まるのは必然なのかもしれない。
「インフレ→お金が無い→拡張的な財政・金融政策が欲しい→さらにインフレ→さらにお金が無い」という悪循環にはまっているわけだが、世論調査に目を向けると高市内閣に最も期待する政策の論点は相変わらず「物価高対策」で、その際に最も期待される手段が「食料品の消費税ゼロ(30%)」となっている現状を見る限り(10月のJNN世論調査)、この悪循環は途切れそうにない。インフレで苦しむ層ほどリフレ政策を好んでいるようにすら映る。
<家計の現預金は減りつつある>
ちなみに日本の家計部門の金融資産と言えば「半分以上が現預金」というのがその保守性を揶揄(やゆ)する指摘として長年使われてきた。しかし、この状況も徐々に変わりつつある。例えば日銀が公表する資金循環統計で家計部門の金融資産の動きを見ると、まずストックベースで円建ての現預金は既に50%割れが目前に迫っており、「半分が円の現預金」と言える状況も終焉(しゅうえん)を迎えようとしている。この事実はフローベースで見るとより鮮明だ。フローベース(過去4四半期平均)で見た円の現預金は21年3月末を境として経験の無い落ち込みに直面しており、遂に25年6月末は前期比でマイナス246億円と流出に転じている。流出は2006年12月末以来、実に18年半ぶりである。当時は05年6月末から06年12月末まで1年半(6四半期)にわたって現預金から流出が続いていたが、これは05年4月のペイオフ凍結全面解除(解禁)という特殊な理由を受けた動きだった。
ペイオフ解禁に伴い決済用預金以外の普通預金や定期性預金の全額保護が解除され、破綻時の保護は1金融機関当たり預金者1人につき1000万円(プラス利息)までに制限された。結果、現預金の相対的な安全性が低下し、他の資産クラス(株など)に分散が発生したのは必然の帰結だ。もっとも、05-07年は円安バブルとも称された時代であり、日本の輸出製造業が世界を席巻した最後の時代でもあった。そのため株価上昇の恩恵も期待できた時代背景も、預金からの資金流出を促した理由のひとつだっただろう。 しかし、今次局面における現預金からの資金流出はそうした制度変更と資産運用環境の複合効果を受けた現象とは明らかに異なる。インフレの常態化により「運用としての投資」ではなく「防衛としての投資」の必要性が意識される中、外貨・株式・投資信託などが選ばれているという動きに加え、そもそもインフレにより日々の消費がかさみ、可処分所得ひいては貯蓄が削り取られているという側面も否定はできない。
<「NISA貧乏」はましだったのか>
新NISA(少額投資非課税制度)元年となった24年は、投資原資への過剰な傾斜が個人消費を抑制しているというNISA犯人説が報じられ、「NISA貧乏」などという言葉も目にした。しかしインフレ下での投資が資産防衛の意味合いを帯びる以上、消費の代わりに投資を増やすという行為は、あくまで「貯蓄としての投資」に過ぎない。
表面的には「貯蓄から投資」が進んだように見えるが、本質的には「貯蓄から貯蓄」であり、実は家計の防衛意識に駆動された資金移動である。デフレ下で現預金に回っていた原資がインフレ下でリスク性資産に回ったと考えれば「NISAのせいで貧乏になった」という表現は適切ではない。デフレ下で「たくさん預金したから貧乏になった」とは言わないのと同じだ。
しかし現状に目をやると、国内外株式への投資意欲も下り坂になる中、現預金も22年以降、減少傾向にある。仮に「投資をする資金がない」というのが現状なのであれば、「投資のせいで消費ができない」と言われ「NISA貧乏」と揶揄された24年の方がましだったようにも感じる。
現在は純粋に「インフレにより可処分所得が減り、投資する原資が乏しくなった」という状況であり、「投資も消費もできない」という構図に近いのではないか。
<格差はさらに拡大へ>
9月時点で9カ月連続での実質賃金マイナスが確認されている状況と合わせ見れば、家計部門の投資意欲後退は単にインフレを受けて原資不足があらわになってきた結果という説はやはり否めない。円安経由でインフレが輸入されている以上、10月以降に再起動した円安相場によりさらにインフレが進む懸念がある。企業の為替ヘッジ効果が切れる3-6カ月後、再び値上げは始まりやすくなる。
現行のリフレ政策の行きつく先が、「NISAにお金が割けるだけまし」という世界だとしたら、それは高市政権の望むところでもないだろう。リフレ政策を推進し、その結果としてインフレが広がりを見せるほど、資産運用に精を出す余裕も失われていく層は増えやすくなる。現状、世論調査はリフレ政策への賛意を示しているが、消費や投資の原資が削り取られる中、耐え続けるにも限度はあるように思える。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。08年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「弱い円の正体 仮面の黒字国・日本」(日経BP社、24年7月)、「『強い円』はどこへ行ったのか」(日経BP社、22年9月)など。新聞・TVなどメディア出演多数。note「唐鎌Labo」にて今、最も重要と考えるテーマを情報発信中。
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